※自死に関する描写が含まれます。
死別後の私自身の心の揺れや葛藤、悲嘆(グリーフ)の過程も描いています。読んでいて「ちょっとしんどいな」と感じたら、どうか無理をせず読むのを中断してください。
あなたの心を1番大切に優先してください。
まずはエピソード0をご一読ください。
▼前話はこちら
▼前話のラスト


ここからMさんには本当〜にお世話になります
訃報連絡までの話②
















責任感じちゃうけど、責任感じてる自分を受け入れるのも嫌(拗らせるヒマ子)
彼の周りの人が彼のために動くのを見るたびに、彼が言っていた言葉を思い出してモヤモヤしました。

俺には支えてくれる人は誰もいない
なぜ見えないんだろう、見ようとしないんだろう。たくさんいるのにな〜って。
あの頃の彼には見る余裕もなかったし、支えてくれる人の存在を受け入れる器みたいなのも育ってなかったんだろうと今なら思えるけれど、当時はひたすらモヤモヤしていました。
それと検索の件。
自殺予防の内容の記事はたくさんあって、けど、相手自身の希死念慮への心配よりも、相手への恐怖感や嫌悪感が上回った時、自分の身の危険を感じた場合の対策…みたいなのはほぼなくて「私はどうしたらよかったんだろう?」という疑問が残りました。
私は私を守るために頑張ったわけで、それはそれで大切なことだったのは間違いないんだけど、けどそれよりも「死ぬと言っている人を最優先に動かなきゃいけなかった」のかなあ?って。
私の行動が否定されるような感覚に、勝手になっていました。
「死」ってすごく大きい出来事だよね。私の行動は間違っていないはずだけど(何を正解とするのか?によって変わるね)、「相手は本当に死んじゃったかも…」と思った瞬間、なんとも言えない罪悪感のようなものがじわじわと。
私は社会からの承認も必死に求めていたんだよ。私は間違ってないよね?自分の命を守ったことは良いことだよね?って。そうじゃないと、今、私が無事にここにいることが否定されることになる。それは私にとってとても怖いことでした。
考え方が極端なことで!
↓「死にたいと言われたら」でヒットしたリンク置いときます
続きます!


コメント